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粉もん人生。みなみ千里。ある日楽器を持って立ち上がった。おばちゃんロックします。いや、おばちゃん!これはロックなのか?!すべては愛なのだ!しょっちゅう会えるわけじゃない大好きな友達へ。


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分断するもの 繋ぐもの

立ち止まる。
頭を冷やすでもいい。

数日前、戦争のような場面を見た。
わたしの考える戦争とは、(体験したことのない)戦争とは、
兵士でさえも作られ巻き込まれたもの。
戦場で対峙する個人と個人の間には、国、と、国が作った戦争をする理由があるだけ。
それなのに命を奪い合う場に立たされ出会わなくてはならない。
奪うか奪われるかという状況に置かれることで、命をかけた敵となる。
作られたものだ。

数日前見たものも、わたしには戦争のように見えた。
実際は見ていられなかった。あまりにも悲しい。

置かれた立場の違う人間が、つかみあい争う。
意見や考えが違うと、思っている。
一方は自分の考えは正しいと。一方はこれが仕事だと。

だからつかみあうのか。それは当たり前のことなのか。
どちらか一方だけに非があり、どちらか一方だけが被害者なのだろうか。
わたしにはどうしてもそう思えない。
戦場に送られた兵士を見ているような気がしてならない。

やめて。
嗚咽とともに出てくる言葉。
一方に、仕事に向かう背中をいってらっしゃいと送り出した家族が見える。
一方に、命の危険から家族を守るためにその場に居るのだという決意が見える。
きっとどちらにも好きな食べ物があって、切ない思い出や安らぐ場所を持ち、愛する人もいるだろう人達だ。
その日常を生きるゆえにその場にいる。
その二人が怒号の中つかみ合い、傷つけあう。

やめて。やめてください。
戦争と同じじゃないか。
そこじゃない。それをやっちゃいけないのに。




その日からずっと言葉をさがしていた。
まとまらない。書き出せない。
切り口も見えない。
今まで自分が書いてきたことを総動員させて、ほらここ、ほらこれ、と説明したい。
でも、例えそんなことをしても、やっぱり書ききれない書きつくせないようななにか。

わたしを一番放心させたのは、その争いに知人が加担していたことだった。
その場にいたわけではないのだが、その人は去年から一連の言動をもってして確実に加担していた。

自分で調べたり学んだり考えたりすることをせず不安ばかりを口走ることから始まり、
自分の不安を裏づけするような情報ばかりを真実として選び取り、
自分が何者であるかも隠したまま、自分が敵とみなしたたまたま目の前に見える人達や、
一括りにカテゴライズした多くの人を、あざ笑い、口汚く罵り、脅し、のろいの言葉を吐き、
自分は正しくその正しさは、じき証明される、これは自分のためではなく人のためだと言い、
そして、その守るべきものとした人達をあっさり捨てて、逃げた。



他者のためという気持ちも、きっと嘘ではなかったのだろうと思う。
嘘をついている気などなかったのだろう。
自分で考えることをせずに、まわりの情報を信じきっていたということなのだろうか。

その言動にまわりのほとんどの人は反応を返さなかった。
それをその人は自分が今問題にしていることへの周りの無関心だと受け取り、ますます憤りを募らせた。

その人が怠っていたこと。
それは検証だったとわたしは考えている。自分に対しても含め。

自分も生まれたときから今問題にしていることを考えてきたわけではないだろうに。
自分にも知らない長い時期があって、知ったなりゆきやきっかけがあったはずだ。

何も知らずに暮らしていた長い期間のあなたの無関心を嘆いてきた人達もいるだろう。
その自分をもあざ笑い、口汚く罵り、脅すのだろうか。
自分をそうするしかできないいらだちが、周りを攻撃させるのだろうか。

だとしたらなんたる救いようのない負のループ。
そこは責めるところではなく、広げるヒントがたくさん隠されているところなのに。
分断は一人の個人が自身に向けるところから始まっているのだろうか。



目立つ誰かと同じように声高に叫びはしないが、とっくに行動を起している人もいる。
感情的になることで多くの人を巻き込んだのち自滅するという、
危険で傍迷惑な方法を選択しない人もわたしの身のまわりには多い。

今の自分には、まだわかっていないことがあるのかもしれない。
という余白を常に持っていることで、劇的に進みはしなくても、維持できるものはある。

実際生きているというのは、常にもやもやしたものを抱えているということなのではないか。
いつでもすっきりなんて、広告のような人生には違和感を感じる。
そのもやもやを抱えつつ、自分や他者を害することなく、
できれば自らをおもしろおかしく笑いながらでも、なんとかかんとかやり終えようと生きていく。
わたしはどれだけ世間様の端っこに生きていようとも、
共同体に住む一員として自分にはそれが課されていると感じている。
大人と呼ばれる年齢になってからは切に。

いつでも一か八かの二者択一しかないなんて、自分ひとりの瑣末なことならまだしも、
それが共同体の選択であるなんて、わたしには恐ろしいものだ。



理不尽に作られ、突きつけられた状況に
個人の感情までゆだねて、乗っけて持っていかれてはいけない。
でも今すぐにどちらかを選ぶしかないんだ、という急き立てる声にむやみに返事はしない。

そんなときでも、ちょと待てよ。と。
自分の頭で考えてみる。

「こちら」でなければ「あちら」と決めてかかるのは、「こちら」であることを求める側の勝手だ。

白か黒か、右か左か、正が誤か、上か下か、なんかしらんが、どちらかに属すという人が
おまえはどちらなんや、と、どちらであるかを表明せよ、と求めたとしても、
わたしはどちらでもない。

わたしはここだ。

ここには、「こちら」と称する人達の居場所とされるところもあるだろうし、
「あちら」と称される人達の命もあるだろう。

あらゆるものが入り混じる。あらゆるものが存在する。

ここが現実だ。

わたしの現実だ。

誰一人として同じ人間などいないこの世界を、一色にしようだなんて、
そうなったら幸せになれるだなんて、わたしにはとうてい思えない。



いつも言う、人様の安全や命を脅かさないというのが唯一と言ってもいい人間の約束事だよねも、
それも、守られていないのも知っている。
人様の安全や命を奪ってでも、手に入れたいものを持つ人がいるのも知っている。

でもそれだって自分のこととして考える。

わたし自身はどうだろう。
もしも自分や自分の大事な人達の安全や命を脅かされるような瞬間があったら、
わたしはその危害を与えてくる人の安全や命を脅かしてでも、
わたしの守りたいものを守ろうとはしないのだろうか。

ではわたしが最低限の約束事、と思っていることだって、
立場や状況によって、一瞬にして変わるようなものなのだろうか。

だったら、わたしにできることはなにか。
その上に生きるということはどういうことか。

そういう判断が必要な状況下に出来うるだけ陥らないようにすること。
それには何が必要か。
頭で考えるだけじゃない、よくわからない勘だとか、体の感覚だって大事だ。

考えるだけではなく、感じる。
フルに生きる。

そうしている間は、何が動かなくとも、何が進まなくとも、かまわないとする。
少なくとも、無防備に火の中に自ら飛び込まないだけではなく、危機に対する身構えだけはできている。
その状態で生きるのだ。

わたしの中にあるかもしれない。と考えることで、もうそれを、ない、とはわたしは言えない。

もう一度、ちゃんと見つめる。
本当に目の前の人が「敵」なのだろうか。

わたしが忌み嫌うものは、人間の奥深くに刻まれたものかもしれないのに。
わたしが忌み嫌うものは、わたし自身の中にも刻まれたものかもしれないのに。

本当に目の前の人は、「敵」なんだろうか。



わたしを放心させたのは、知人の行動だけではないんだな。
わたしに突きつけられた現実を目の当たりに見たからなんだ。

さかさものは点と点。
徒党を組まなくとも、自分が自分として生きることで、繋がるものはつながり、結ばれるものは結ばれる。
その自分を生きる確固たる一人一人で結ばれたものが、どんなものだかわからないそれが、
いつかぶわーっと光り輝くように発揮される場面があるかもしれない。

自分を捧げることも含め自分を生きることこそ、と選んできているけれど、
わたしがどんな人間でどう生きていようと、目の前の掴み合いは起きるという現実。

その掴み合いの手は、いつでもこちらに向かっても伸ばされるものであるという現実。

今までもさんざん経験してきたことだし、自分に何かができるなんて思っていもいない。
だから今更無力感だなんて持ち出さないし、傲慢な気持ちで嘆いているわけじゃない。

いつも、これが現実。あらゆるものが混在するのが現実だと思って生きているけれど、
目の当たりに見る、ということはやっぱりかなりきつい衝撃があるんだろうな。
人心の中に、その力として、いつでも過去に起きた戦時中という状態に陥る可能性をリアルに感じた衝撃。

でも見たからには、それもまたわたしの現実として受け止めて考えていく。



そしてわたしは自分が感じたことを、閉じ込めておけばなかったことになるそれを、
開けてさらして出現させることを今日もやめない。
それがわたしが見たものに対する、わたしが感じたことに対する、責任だと思っているから。
わたしがわたしを生きることの一環だから。

それを見ない人に、ないもの、とされても、ある。

それと同じように、人の数だけ現実があるのだ。
そしてその人の数だけ、誰かとわたしは、この地球を、この国を、この街を、この時間を共有している。
これからも生まれてくる人の数だけそれはふくらむ。

入れ替わるようにいつか消えていくわたしに、もし残せるものがあるとしたら。
ちっぽけなおばちゃん生きたよ。
生まれてきたからには生きたよ。

なくなった親友と最期に近い時間、二人で話してたこと。
生きていくのはつらいけれど、生まれてきたことは素晴らしい。
これは命への祝福の言葉だったんだと、この歳になってやっと気付きました。

わたしがつなぎたいもの。

この体を持ってそれを生きよう。
とても静かな気持ちです。


まとまらない長い長い文章を最後まで読んでくれて有難う御座いました。
気持ちは静かなんだけどかなり熱いです。
そいでギターの音はかなり激しいわよー今日もかき鳴らすわーろっーく!



# by aloha_twins | 2012-05-26 10:12 | おばちゃん語る

自信がない・・・の?

でぼちんのたんこぶ痛し。笑うと痛し。
たんこぶ、まだ、もりっとしてます。そいで痛みがたんこぶのまわりに広がってる気がします。
こんなふうに痛みが散らばっていって、そのうち治っていくんだろうか。
おもしろいなぁ体。ありがとう体。そいで、不注意で痛くしてごめんなさい体。

昨日の夜は首から肩の辺りにかけてシップを貼って寝ました。
夜になって左足の膝もズキズキしてきたので、そこにもシップ。
尻もちをついたときにぶつけてたのかしら。

家の中で一人でこんなけ打ち身作ってたらどんならんですね。
外出するときはもっと気をつけよう。

今日はちょっと、こないだから頭をグルグルしてたことをまとめられるかな。
出してみよ。
んと、目の前に今までやりたいと思ってたことができる機会があるのに、
先にすすめなくなっちゃったって経験って、わたしはあんまり記憶にないんだけど、そゆ人を見て思ったこと。

自信がないのかなぁって。

自信がない、っていうのは、うまくできるかな?とか、そゆこと?
もしうまくできないと、どうなるのが怖いのかな?

もしかしたら、人の評価が怖いのかな?

人の評価を気にしてるようでいて、
それって人の評価に振り回される自分のことが怖いんじゃないかな。

やりたかったんだから、やったらいいのにな。
(めっちゃ念のため:人様の安全や命を脅かすようなことじゃなければ、よ。)
やって、うまくいってもいかなくっても、人の評価がどうであっても、
やりたかったことをやった、ってだけで、もう自分には胸張ってられるのにな。

うまくできないかもしれない俺。
けっこうやれると思ってたけどけっこうできてなかったかもしれない俺。
俺よりすごくやれる人に比べたらどうしようもなく何にも出来ない気がする俺。

いいじゃんいいじゃん。
その俺に向き合えるのは俺だけ。

あとは俺だけ。
俺がやるって言ったらすべてが動き出す。
振り返ったらそこに残るのは、俺は俺に向き合った。という事実。

俺はやった。
俺が知ってる。

その積み重ねかもしれないね、自信って。
そっか、書いててなんとなくわかった。
わたし、昔からなんでそんなに自信満々なの?って友達によく聞かれてたの。
めっちゃびくびくびびりと同じくらいの、根拠のない自信あふるる態度を持ち合わせているらしいのよ。

それはあれね、世間様の評価をまったくおかまいなしに、
わたしは自分がやった小さな小さな積み重ねだけで、わたしにだけは胸張ってるのよ。

それが友達からは、自信のある態度に見えるのよ。
根拠がないっていうのは、さして評価もないのにってことよ。
なるほどねーそういうことかも。

だとしたら、わたし方式でいくと、人様からはそんな風に見られることもあるかもしれませんが、
それはさかさものなんだってことでひとつ。あしからずご了承願います。ろっくだもん。だもんて。

さかさものにはひゅるるがつきもの。
さ、ご一緒に。さかさものの証し、ひゅるる~。
少し上空、遠くを見つめて膝なんか抱えると雰囲気出ますね。三角座りで。

うむ。今日はこんな感じで、そろそろ飯の仕込みに。


たんこぶにヒエピタ貼ってみます!ろっく。



# by aloha_twins | 2012-05-22 16:53 | 日々の暮らし

勝手に紹介シリーズ CD編 DR. HOOk

 目覚めた!よかった生きてる。
昨日もっこりたんこぶを冷やしてる時はどうなることかと心配でしたが、夜中何度か目覚めては冷やすを繰り返しながらも、朝ちゃんと目覚めることができました。

 寝室に人が入ってきた気配がして目覚めると、先に起きてたらしいおっちゃんが「大丈夫?」と声をかけてくれたので「うむ。」と威張って起き上がる。なんだかカーテン越しの、外の世界が不思議なトーン。

 あ、日食か!

太陽は出てるのに曇り空とはまた違うほのかな薄暗さ、
雲越しに見える太陽の形はよくわからないけど、日食だ!
わーいわーい日食音頭でどどいのどい。

日食音頭を踊り終えおっちゃんに笑いかけると、もっこりたんこぶが痛い。
どうやら表情筋をフルに使うとたんこぶが痛むらしい。
安静にしてみると、左の肩から腕から首までも痛い。
む・ち・う・ち?
あぁう。

頭を打ったので、目覚めたらめっちゃ賢くなってたりして!と淡い期待を抱いていたのですが、
起床後数時間経過した現在、相変わらずのようで特に変化も見られずであります。

さぁ今日は久しぶりに勝手に紹介シリーズをいってみよう。

 おばちゃんロックを始める数年前に、バンドやりたい欲がもりもり出てきた頃、次にバンドをやるならこんなバンドがしたい!と思ったのがこちらの DR. HOOk であります。

 厳密には DR. HOOk と改名する前の、DR. HOOk AND THE MEDICINE SHOW のライブ映像を見て強くそう感じたのでございます。
 
 お写真のDVDです。
このDVDの頃が好きです。

なんといってもメンバーの自由な感じや、見た目のいかつさと相反するピースフルな雰囲気、
そいで気持ちの良いハモリときたらもう好き好き好き大好きだーってなことになりました。

家にあるCDはこちらの二枚だと思うのですが、左のCDジャケットの写真なんかも大好きで、
もし自分がCDを作るなら、こんなのにしたいと思います。
わたしの敬愛するミュージシャンにお顔を突合せていただけたら楽しいなと。
わたしも入ります。
んま。なんて贅沢。

勝手に言ってるだけですよ。
あたいは目的を持てない女だけど、目標は持ってもいいんじゃないか。
いや、持ったほうがいいんじゃないか・・・すみやかに持つべきか。

  DR. HOOk のようなバンドがしたい、と言っても、当時、身のまわりの反応はどこまでも薄いものでした。
 自分も何にもできなかったのだから、しょうがございません。

 自分のできなさ具合はそないかわりはしないのですが、身のまわりにたくさんのすんごいミュージシャンがいることだけははっきりとわかるようになりました。

うむ。
あとは前を向いて進むだけ。

よく女だてらに男達を従えて・・・という図を見たり聞いたりすることがありますが、
おばちゃんロックとしては、溶け込み(清水ミチコ様大好きです。)方式でいきたいと思っとります。

さぁ今年ももうすぐ半分終わろうとしてます。
やっとエンジンかかってきたよ。


いくぜぃもっこりもこもこたんこぶろっく!






# by aloha_twins | 2012-05-21 10:48 | おばちゃんの練習

たんこぶでけた

先ほど、虫の気配がする、と、ソファに乗ってぐるっと部屋を見渡し、異常なし!とソファから降りる際に、
釣ってある照明器具の存在をまったく忘れていて、したたか左前頭部を打ち付けました。

あまりの衝撃と激痛に何が起こったのか一瞬理解できませんでした。
声が出ないくらい痛かった。

その衝撃でソファのオットマンから足をすべらせ、床に落ちてしまい尻もちをつきました。
とっさに右手で支えられたので尻もちはたいしたこともなかったのですが、
とにかく打ち付けた左前頭部から頭頂部にかけてめっちゃ痛い。

しばらくもだえておったのですが、次第に涙が出て参りまして、じきに嗚咽となり、
オデコ切れたかも。と、ぶつけた箇所に手をやってみると、もっこりもこもこのたんこぶができております。

現在保冷剤やら氷水でしぼったタオルなどで冷やしております。

たんこぶの直径はゴルフボールくらいかしら。
痛い。

耳や首も痛いです。
あぁ情けなや。どんくさいわたし。
今日はもう寝ることにします。
みなさまもどうぞお気をつけくださいませ。

もうちょっと泣いていいですか情けなやろっく。




# by aloha_twins | 2012-05-20 22:16 | ちょっとひといき

衣替え

今年は衣替えが中途半端なまんまだと思い出しました。
なんだか肌寒い日があったり汗ばむ日もあったりで、もひとつえいやっとキリがつかぬまま。

まぁ年間通して重ね着ですませてるようなものなので、そないにたいそうな衣替えもないのですが、
ちゃんとしまっておかないといけないものを、出しっぱにしててはいけませんな。

まだちと寒かった3月に始まった『帽子のお弁当屋さん』を、
帽子のお弁当屋さんたらしめる主役である帽子も、
来週から衣替えが待っています。

ユニフォームだったウール100%の帽子を、
丁寧に洗って形良く乾かし中。

なんと愛らしいフォルムであろう。
一度かぶると脱ぎたくなくなる不思議な帽子。

この数ヶ月どうもありがとう。




来週からはこちらのお帽子が、
わたしを弁当屋さんとして自動操縦してくれるのです。
コットンで編まれた美しい春夏用の帽子。

名付けて『生クリーム帽』

赤白帽、みたいな感じで読んでみてください。

生クリーム帽。

今日はすずめがベランダに遊びに来ました。
ちゅぃちゅぃというさえずりに耳を澄ませ、
驚かさないようにこそっと見つめる。
弁当休みの土曜日を満喫。

みなさまもどうぞ良い週末をお過ごし下さいろっく。




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# by aloha_twins | 2012-05-19 22:42 | 日々の暮らし

ギターと弁当とお友達

 先日久しぶりに電話があったすんごいドラマーH君と、近況を報告しあってたんだけど、昔っから歯に衣着せぬ物言いの彼に、この度もたくさん色んなお言葉をいただきました。

 んな中で、わたしがポロッと言ったことに対して、
「あぁそうやってやらない理由を見つけてるわけね。」てのがあって。
 そうなの、そうなのよー、わたしそれがいやだったのにこれはそうなっちゃうねーって。


帰宅したおっちゃんに、H君とこんな話をしたよと言うと、
「君はいいね。言いにくいことを言ってくれる友達がいて。」という感想をもらった。

なるほどー。そんな風に考えたことはなかったけども。

H君も愛するSもっさん達と一緒で、もう20年以上大好きな友達なの。
この人達がいたから今のわたしがあるという、ずっと会えなくてもいっつも心の中にいる友達なの。
わたしの片思いはしつこいのよ。

しゃべる鏡っていうか、そんな感じなんだな。
友達って。
映ってることをわたし解釈じゃなくって、彼らに映ってるままに言葉にしてくれる。
だからわたしが見たくないものでも、映ってれば見えてしまうし、言葉になって聞こえて来るの。

 ほかにもいっぱいあったんだけど、「ギター弾いてなくて更に下手っぴになったなら、こんだけ弾かないとこんなんなりましたって動画もあげればいいねん。」というのもあって、それもいいかもなぁと思いました。

 お弁当の写真って、別に上手にできたからUPしてるんじゃなくって、今自分がおもしろいと思ってることで、毎日やってることだから、出すって感じなの、音源だってそういう感じで出したらいいのかも。昨日もちらっと書いたけど。あ、そっかブログもそうか。


ギターがそうなったら、それも普通にできるようになるかな。
今ちょっとお弁当の方に夢中だからな。
でもこの燃えてる感じでギターも引き続きいってみよう。

ひきこもってても、自分に必要な何かは、ある日ぽろっといろんな形で飛び込んでくるものなのだな。
あとは自分次第。

『帽子のお弁当屋さん』は期間限定だからがんばれるんだって思うところもあるんだけど、
わたしの人生だって期間限定なのよね。


だからどっちにしても毎日挑戦ろっく。





# by aloha_twins | 2012-05-18 10:52 | おばちゃんの練習

かみなりこわい

かみなり怖い。
稲妻ペカッ雷ゴロゴロどかーん。
こわいよぉ。

子供の頃から怖かった。
乗ってた自転車を放り出して道端にしゃがみこむくらい怖かった。
大人になっても変わらない。
怖がりは全般に怖がり。
いっつもビクビクしてる。

怖がりおばちゃん今日も燃えてますよ。ギター。
なんだかますます燃えてます。
お尻に火がつくのもそう遠くなさそうな。
まだついてないってのも怖いけども。

そしてこちら期間限定『帽子のお弁当屋さん』
すんごい弁当だなぁ。海苔がなぁ。冗談みたいだなぁ。

それにこのおかず、ぎゅーぎゅーに詰め込んでるので、おっちゃん箸が折れそうになったらしいよ。
取り出せなくて。

だっておかずたくさん入ってた方が嬉しいもんねぇ。
まったくもって個人の感想ですが。
いーのだ。
どこまでもわたしが作りたい弁当を作るのだ。

これは昨日の弁当なんだけど、ほんとはあれだよね、昨日の弁当より昨日の音源出せって話だなろっく。




# by aloha_twins | 2012-05-17 22:33 | 日々の暮らし

それが楽しい

おなか空きました。
晩ご飯の準備までもうちょっと。晩ご飯何しよう、明日の弁当も。
野菜を食べなだちかんぞー。
ギターも練習せなだちかんぞー。


何日か前ご飯の支度をしながら、

「聴いてると弾けるような気がするんだけどねー」とアホ丸出しのひとり言をつぶやいてたら、

どこからか現れたうちのおっちゃんが、

「弾けるよ。」と返すではありませんか。

「え?弾けるような気がしたら弾けるものなん?」とアホ(わたしのことです)

「弾けるよ、練習さえすれば。」とおっちゃん。

「・・・・・・・そですね。」とアホ(わたしのことよ・・・)



そいえば先日久々にお目にかかったサンデーマグのマスターと話してるとき、
できないことをできるまで練習続けるのってたいへん・・・とこぼすわたしに、
マスターとうちのおっちゃんとが口をそろえて、

「弾かれへんのを練習するのがおもろいんやん。」 というようなことを言うたはった。



そいで、さっき何年かぶりに電話がかかってきた、すんごいドラマーの友達H君と話してたら、

「できるようにならないのは、できるようになるために必要なだけの練習に足りてないからやで。」と

いともあっさりと言われたところ。


そ、この人達はみんな楽しんでる。音楽を楽しんでいるのだわ。


んで、わたし、今燃えてる。
献立決めてご飯と弁当の支度済ませて家計簿つけたら、ただちにロックするわ。
ごっつ生活感あふれてるけど、これがおばちゃんロックなのね。

めらめらろっく。



# by aloha_twins | 2012-05-16 18:36 | おばちゃんの練習

あるべきとあるまじき

 今日は朝から Steely Dan のBOXをかけて家事。あーばんだねぇ。
 おっちゃんがかけたまま出かけて行ったんだけどね、このCDは一枚に曲がたくさん入ってるから、朝のいそがし時にCD替える手間が少なくていいのだわ。

 二十歳やそこらの頃やってた女の子(当時)バンドで、 Steely Dan の Pretzel Logic という曲を死ぬほど(当時の・・・)練習したっけ。この曲には groove のすべてがあるって某氏に聞いたってことで、あい。
 そゆのこそ、今練習しないといけないですな。と思いますです。


先日、帽子のお弁当屋さんでは、
自分の作りたい弁当を自分の作りたいように作って、
どんな弁当でも腹がふくれればありがたく頂くという
「悩むほどがんばらんでええんちゃうー」な反応薄なおっちゃんに持たせているのだぉ、という話を書きましたら、また良い子のお友達から質問をいただきましたのでご紹介と答えをば。

いただいたご質問: まじっすか?

         答え: そうっすよ。

帰宅したおっちゃんにおいしかった?量は足りた?などと聞くのはわたしで、
今日のおいしかったでーっとおっちゃんから先に言って来るなんてことはもちろんなく、
わたしが聞かなければ、お弁当のことは話題にあがることもないでしょう。
逆に今日の弁当はなんや!と言われることもなくてよい。今のところは・・・。

普通にお昼ご飯食べて帰ってきた。いや、仕事して帰ってきた。ですな。
あぁ疲れた。みたいな感じです。
普通ですよね。仕事がメインですもんね、ピクニック行ってきたんとちゃいますもんね。

ここを、わたしがこんなにがんばってんのに!とか思うとこじれるんでしょうな。

以前も書きましたが、わたしは空気読めない、人の気持ちがわからないという
自分の特性を生かしてですな(前向きだなぁ)、
基本片思いをうちのおっちゃんに対しても採用しとるわけです。

迷惑でなさそうであれば、側にいるし、おしゃべりするし、何か作って食べてもらう。
よっぽど迷惑やったら、疎遠になるだろうくらいの感じで。でもラブレターは出し続けつつ。

考えてみると、「がんばらんでええ」と、既に言われておりますな。今気付いた。
たぶんおっちゃんはずっと「がんばらんでええ」と言い続けておったのでしょう。
わたしには10年ほど経って、やっとそれが聞こえてきたと。にぶっ。あぁぁ。


 わたしの苦手なことに、おっちゃんの奥さんとして人様にお目にかかるというのがありまして。
なんというか、社会人の妻たるものかくあるべし、みたいな、あるのかないのかもよくわからない無言の何かに対して、おそらく必要以上に警戒しておるのでしょうか、ごっつい疲れるのですな。
 
 何を求められてるのかも漠然としているくせに、あるべき奥さん、としてその場にいなくちゃいけないという過剰な意識が、なんかがんじがらめのような、身動き取れない窮屈さでいっぱいにするのですな。

ま、その件についてはほとんど無策失策しとるわけですが。おばちゃんロックだーとか言うとるわけですし。

わたしがこんなにがんばってお弁当作ってるんやから、毎日大喜びしてよ!と求めるのは、
そのような、妻たるもの、夫たるもの、こうあれよ、みたいなものに通じる、きな臭さを感じるのです。
妻たるもの弁当作れ!も同様。作って当たり前とは、作る本人以外は口にしないでーって。

あるべきを要求するのもされるのも、あるまじきを糾弾するのもされるのも、家庭内では勘弁。
うち、ロックだから。

ロックは片思いなのよ。

愛してるから愛して、って要求されて、うんって言えるもんじゃないもんね。
愛してると愛してるがバチッと合ってぐるぐるっと環っかになるからおもしろいんで。
そりは生活全般瑣末なことに落とし込んでもおなじことなんだよね。

それは契約なんかとは違う、また全然別のことだもんね。

愛ってなにかわかりませんが。

少々味が薄かろうと濃かろうと、同じおかずが続こうと、
残さず食べてきてくれる、無事に帰ってきてくれる、で、じゅうぶんありがたいこってす。

しかし練習だけはやれよってそこはシビアよ。

ささ、んなわけで良い子のお友達の皆さんからのご質問に、これからもバンバン答えていきますねー。


良い子のみんなは先に練習しようろっく!





# by aloha_twins | 2012-05-15 12:20 | 日々の暮らし

虹色

昨日は奈良へ尺八の演奏を聴きに行って来ました。
行きの電車の中、窓から空を見上げていると、刷毛ですっと太い線を描いたような雲が浮かんでいて、
その雲の一部が虹色になっていました。

目の錯覚か、窓ガラスの反射かなにかかなぁとじーっと見つめていたんだけど、
こりゃーどうも雲に色がついてるみたいだなぁと。
隣に座るおっちゃんに見てもらうと、「あ、ほんまやね」というので、おそらく見間違いではないようです。

その雲はけっこう長い時間、三駅か四駅分くらいの間見えたので写真も撮ってみましたが、
わたしはデジカメは持ってるだけでさっぱりだし、電車の窓ガラス越しだしで、そないによく撮れないもので、
実際に見た者が見るとこの辺だわとわかるんだけど、この写真だけを見ても見えるかなぁといった具合です。

初めて見ました。
その日はなんだか刷毛で書いたような雲が上に上に向かっているような不思議な空でした。
それで、雲が太陽に向かって集まっていくみたいだなぁと、太陽を見ようと視線を上にやると、
今度は、太陽の周りに円い虹がかかっていました。
光だけじゃなくって、ちゃんと色が見えたよ。虹色だった。これも初めて見ました。

曇りでなく晴れてはいるんだけど、うすーく雲がはった空に、
刷毛で書いたような白い雲がいくつか浮かんで、はかなげな虹は消えそうで消えない。
お日様はぺかーって光っていて、わたしはそれをおでこいっぱいに浴びた。

誰か見た人いるかなぁ。


虹っていいなぁだいすきろっく。


# by aloha_twins | 2012-05-14 22:12 | 日々の暮らし
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