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粉もん人生。みなみ千里。ある日楽器を持って立ち上がった。おばちゃんロックします。しょっちゅう会えるわけじゃない大好きな友達へ。


by タピオカミルクティを飲みました

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ないからあるもの

うちのおっちゃんもわたしも携帯電話を持っていないので、
だいたい一日の行動はこんな感じというのは把握していても、
成り行きで予定変更ということがあったときに、ちょっとメールでお知らせ♪
みたいなことができないのですが、それはそれで、慣れてきます。

ま、どちらかが家にいて帰りを待ってる場合なら、
出先でまわりの方との兼ね合いで公衆電話探しに行けないんだなぁとか、
あぁあのへん公衆電話ないんだろなぁとか、
あ、楽しくなって飲みに行っちゃったか、とか、
まぁだいたいそんなところだろうなぁなどと想像しながら、
楽しんでいますように、無事に帰ってきますように、と願いつつギターの練習してたらよろしやん。

んで、お互い出てて、外で待ち合わせる場合なんかには、
約束した時間に約束した場所に来る。ので、それが出来ない場合、
ようは来るまで待つ、待たせるということになります。
ないからあるもの_a0123100_21413392.jpg
いずれの場合も、家には帰ってくる。ものであるし、
来ると約束したからには、来る。ものなので、
なんぼ遅れようと帰宅するし待ち合わせ場所に現れます。
もしそうでなければ、よっぽどのことですな。
それこそ緊急事態異常事態を想定して次の行動にでなければなりませんな。

わたしみたいな怖がりは、朝いってらっしゃいと手を振って夜また会える保証は
どこにもないと思って暮らしていますので、喧嘩したまま送り出すのもいやだし、
帰宅してまた会えたら、うほうほ喜んで小躍りします。

でもそないに、頻繁に連絡とれなあかんことないもんやなぁとあらためて思います。
携帯持ってて、持ってるのに出ないとか、電波が届かないとか充電切れたとか、
そんなんの方が、なんやもやもやしてたような気もします。

ないなら、ないで。
ないからあるもの_a0123100_21395641.jpg
友達との約束も、そこへその時間行く、と言うたら、行く。
ということで。
携帯電話を持っていないわたしが遅刻すると、いらっとさせてしまうと思うので、
遅刻しないように、早め早めに待ち合わせ場所で待ってます。
(電車乗り間違えて遅れたときはほんまごめんなさい)

そいで、もし、友達が来なければ、
友達の携帯に電話しますし、それでも連絡がつかなければ、
次の予定がなければ、待てるだけ待ちます。

急な変更があって連絡しようと思ったけど、おばちゃん携帯ないから連絡つけへんかった。
というのは、それはそれでいいのです。
約束したらそこにおるし、連絡つけへんでも仕方ない。
少なくとも友達はわたしのことをそゆやつやとおもてくれてます。

おっちゃんにしても、友達にしても、そんなことで関係にひびが入るようなものではないみたいなのです。
ないからあるもの_a0123100_22505722.jpg
こゆのは、元々わたしがそういう関係を人と築いてきたから、というよりは、
持たないことでそういうものが育ったり強固になったりしたともいえるかもしれないなぁと考えました。

そういうことやものを共有できる人と仲良くなってるというのもあると思います。

あると便利、と、ないと生きられない、は、はっきり別なのですな。
なくてもなんとかなる、とか、なんとかする、とか、
ないならないなりの暮らしや関係を人間は作っていけるのではないでしょうか。

今以上の発展。と言われる場合の発展というのは、ほぼ経済の発展を指すでしょう。
でも、それってかなりあやしいなぁとわたしおもてます。
わたしが、今からはというか、今こそ発展させたいのは、人間の力ですなぁ。
個人の人間の底力。
個人と個人を結ぶ力や技量を発展させたいなぁ。
ないからあるもの_a0123100_23131444.jpg
もう十分すぎるほど、持ったんとちがいますやろか。
もう持てんくらいに持ったんとちがうやろか。
先日おっちゃんは左手でメールを打ちながら右手でゲームをする人を見かけたそうですが、
それだって、もう両手ふさがっちゃってるわけです。
満喫してるかもしれませんが、それを続けることもかなりたいへんなことだろうと想像します。

わたしのような小心者は、この世を去るときに自分の色んなものが残るのをかなんなぁとおもてます。
おっちゃんが、いなくなったわたしの持ち物を見て、わたしを思い出して悲しくなったりしたら、
なぐさめてあげるわたしがもういないのですから、それを想像すると何にも残したくないとさえ思います。
(誰かなぐさめてくれる人がいてくれたらそれが一番良いことです。一人さびしくしていてほしくないのです。)

大好きなものを身につけて囲まれて生きていたいという気持ちと、
残すものを少しでも減らしたいという思いを思って、そのへんを考え考えやってます。

わたしのことを知らず、ものはただのもの!と思える人で、そのもの自体を愛してくれる人にお譲りするのも良いなぁと考えております。
いや、そんなええもの持ってないんですけども。

ないからあるもの_a0123100_23143941.jpg
自分の身のまわりの持ち物だけに限らず、大地や海や空気や水も、もちろん電気も。
自分の身の丈ってどんなんやったかなぁというところに立ち返って、
またこつこつ選んで慣らしていきたいなぁとわたしは思います。

ある、と、ある状況のままいっちゃうもんだったりしますものね。
ない、からはじめてみるのも、ひとつかもしれないですなぁ。

鶏が先か卵が先か。
でも自分で選べるうちは、豊か、ということなんだと思います。

何を育てていきたいか。
自分の中に、誰かとの間に、この社会に。
そこんとこ考えてひとつひとつ選ぶ。

ギターの練習と同じで、日々こつこつですな。
そのうち板についてくる。


ギターが板についたところを見せんかいという空耳が~っろっく。


# by aloha_twins | 2012-06-01 23:33 | 日々の暮らし

そして微熱

そして微熱_a0123100_9452943.jpg今日もおいらは微熱少年隊。
ヒエピタ貼って気持ちよかったのは、
どうやら熱が出ていたせいらしいぬゎ。

昨日一日寝てたけどだめだす。まだ下がらんようです。

んでも弁当だけはすっかり自動操縦。
すっごいぜ帽子の威力。帽子のお弁当屋さん。

こっちは昨日の弁当でぃぇー、


そして微熱_a0123100_948431.jpgこっちは今朝の弁当。
豚肉でインゲンと人参を巻き巻き。
巻く気なかったんですよ。
この度のお弁当屋さんでは巻きも禁止しようかとも思っていたのですが、朝、生肉見たら無性に巻きたくなったので巻いちゃいました。あぁすっとした。

昨日よりは楽になったので、UPしておこう。
熱でボーッとしてても、自動操縦で献立考えてお弁当作って撮影して画像サイズ変えたりできるようになってきた。取り組み始めて二ヶ月とちょっとか。

かっちょ可愛いユニフォーム帽子と、
参考にさせていただいてるいくつかのお弁当ブログや数冊の本、
いろいろ差し入れしてくれる義母の応援と、
このブログに弁当の写真はっつけてもハイハイって受け入れてくれる皆様と、
どんな弁当も食べてくれるおっちゃんと、がんばる俺様のおかげでここまで参りました。

俺様入れるかそこに。

もうじきお弁当屋さん閉店しそうだからね、ちょっと振り返ってみました。

やっぱりあれだね、必要にかられてほぼ毎日やるってのも大きいのね。

あっれーっ。
なんか聞こえてくるよーっ。
お熱のせいかなぁ。空耳かなぁ。

ギターもそれくらい練習しろっつーーーーーのっ!!!

あぁっ熱が、熱がーっ。
ちょと寝て起きたらやりますけん。


めざせギターの自動演奏ろぉーっく!!


# by aloha_twins | 2012-05-29 10:05 | 日々の暮らし

たんこぶその後

ところで、たんこぶ。
腫れはひいてきましたたんこぶ。
そいでも今日は気温が高いせいか熱っぽいせいかヒエピタを貼って気持ちんよかーたんこぶ。

う、うっとーしいですね、語尾にたんこぶつける決まり。
書き始めて決めたんです。あぁ今も決めたん・・まで書いたところで、こぶ、とつけたくなったー!
決めたんこぶ。
・・・。
ほっ、すっとした。
すっとしたので語尾たんこぶ終了。

数日前から、痛くて無理だったおだんごも結えるようになってますし、
何かの拍子に触ると、くぅーーっと痛いですが、順調に回復しております。
やっぱり頭を打つと心配だものね、気になる症状や不安があったら
お医者さんに診てもらうのもいいですよね。記録も(数年は)残るし。

そりより更に、昨日から、内職とPC作業に根をつめたせいで、首と肩の筋をいわしてしまい、
首がまわらないので、体ごと振り向くおばちゃんロックです。(名前だったのか・・久しぶりのフレーズ。)
たんこぶその後_a0123100_16533849.jpg
今日の午前中はこんなん見てました。『 CREAM / Live at the Royal Albert Hall 2005 』

かっこよかったー!

わたし、昔の CREAM より好きかもしれないです。
これはなんなんでしょう?録音や機材やらが昔と違うから?そいともやっぱミュージシャンの年季なの?
昔のいなたさが薄くなったような、なんというか、力の抜けたまろやかな感じがするような。
今のこの人からの音が出てるー!って感じがして、めちゃめちゃかっこいい!
なんなの、なんなの。ミュージシャンってなんなんだろう。すごいなぁ。

インタヴューついてるんですけど、日本語字幕ないのね。
ふんふん、なるほど、あぁ、ええこと言うたはるわー。
・・・・・。
なんとなくで、まいっか!

いやーんまた明日からお弁当やわぁろっく。たんこぶその後_a0123100_17194269.jpg


# by aloha_twins | 2012-05-27 17:24 | おばちゃんの練習

分断するもの 繋ぐもの

立ち止まる。
頭を冷やすでもいい。

数日前、戦争のような場面を見た。
わたしの考える戦争とは、(体験したことのない)戦争とは、
兵士でさえも作られ巻き込まれたもの。
戦場で対峙する個人と個人の間には、国、と、国が作った戦争をする理由があるだけ。
それなのに命を奪い合う場に立たされ出会わなくてはならない。
奪うか奪われるかという状況に置かれることで、命をかけた敵となる。
作られたものだ。

数日前見たものも、わたしには戦争のように見えた。
実際は見ていられなかった。あまりにも悲しい。

置かれた立場の違う人間が、つかみあい争う。
意見や考えが違うと、思っている。
一方は自分の考えは正しいと。一方はこれが仕事だと。

だからつかみあうのか。それは当たり前のことなのか。
どちらか一方だけに非があり、どちらか一方だけが被害者なのだろうか。
わたしにはどうしてもそう思えない。
戦場に送られた兵士を見ているような気がしてならない。

やめて。
嗚咽とともに出てくる言葉。
一方に、仕事に向かう背中をいってらっしゃいと送り出した家族が見える。
一方に、命の危険から家族を守るためにその場に居るのだという決意が見える。
きっとどちらにも好きな食べ物があって、切ない思い出や安らぐ場所を持ち、愛する人もいるだろう人達だ。
その日常を生きるゆえにその場にいる。
その二人が怒号の中つかみ合い、傷つけあう。

やめて。やめてください。
戦争と同じじゃないか。
そこじゃない。それをやっちゃいけないのに。




その日からずっと言葉をさがしていた。
まとまらない。書き出せない。
切り口も見えない。
今まで自分が書いてきたことを総動員させて、ほらここ、ほらこれ、と説明したい。
でも、例えそんなことをしても、やっぱり書ききれない書きつくせないようななにか。

わたしを一番放心させたのは、その争いに知人が加担していたことだった。
その場にいたわけではないのだが、その人は去年から一連の言動をもってして確実に加担していた。

自分で調べたり学んだり考えたりすることをせず不安ばかりを口走ることから始まり、
自分の不安を裏づけするような情報ばかりを真実として選び取り、
自分が何者であるかも隠したまま、自分が敵とみなしたたまたま目の前に見える人達や、
一括りにカテゴライズした多くの人を、あざ笑い、口汚く罵り、脅し、のろいの言葉を吐き、
自分は正しくその正しさは、じき証明される、これは自分のためではなく人のためだと言い、
そして、その守るべきものとした人達をあっさり捨てて、逃げた。



他者のためという気持ちも、きっと嘘ではなかったのだろうと思う。
嘘をついている気などなかったのだろう。
自分で考えることをせずに、まわりの情報を信じきっていたということなのだろうか。

その言動にまわりのほとんどの人は反応を返さなかった。
それをその人は自分が今問題にしていることへの周りの無関心だと受け取り、ますます憤りを募らせた。

その人が怠っていたこと。
それは検証だったとわたしは考えている。自分に対しても含め。

自分も生まれたときから今問題にしていることを考えてきたわけではないだろうに。
自分にも知らない長い時期があって、知ったなりゆきやきっかけがあったはずだ。

何も知らずに暮らしていた長い期間のあなたの無関心を嘆いてきた人達もいるだろう。
その自分をもあざ笑い、口汚く罵り、脅すのだろうか。
自分をそうするしかできないいらだちが、周りを攻撃させるのだろうか。

だとしたらなんたる救いようのない負のループ。
そこは責めるところではなく、広げるヒントがたくさん隠されているところなのに。
分断は一人の個人が自身に向けるところから始まっているのだろうか。



目立つ誰かと同じように声高に叫びはしないが、とっくに行動を起している人もいる。
感情的になることで多くの人を巻き込んだのち自滅するという、
危険で傍迷惑な方法を選択しない人もわたしの身のまわりには多い。

今の自分には、まだわかっていないことがあるのかもしれない。
という余白を常に持っていることで、劇的に進みはしなくても、維持できるものはある。

実際生きているというのは、常にもやもやしたものを抱えているということなのではないか。
いつでもすっきりなんて、広告のような人生には違和感を感じる。
そのもやもやを抱えつつ、自分や他者を害することなく、
できれば自らをおもしろおかしく笑いながらでも、なんとかかんとかやり終えようと生きていく。
わたしはどれだけ世間様の端っこに生きていようとも、
共同体に住む一員として自分にはそれが課されていると感じている。
大人と呼ばれる年齢になってからは切に。

いつでも一か八かの二者択一しかないなんて、自分ひとりの瑣末なことならまだしも、
それが共同体の選択であるなんて、わたしには恐ろしいものだ。



理不尽に作られ、突きつけられた状況に
個人の感情までゆだねて、乗っけて持っていかれてはいけない。
でも今すぐにどちらかを選ぶしかないんだ、という急き立てる声にむやみに返事はしない。

そんなときでも、ちょと待てよ。と。
自分の頭で考えてみる。

「こちら」でなければ「あちら」と決めてかかるのは、「こちら」であることを求める側の勝手だ。

白か黒か、右か左か、正が誤か、上か下か、なんかしらんが、どちらかに属すという人が
おまえはどちらなんや、と、どちらであるかを表明せよ、と求めたとしても、
わたしはどちらでもない。

わたしはここだ。

ここには、「こちら」と称する人達の居場所とされるところもあるだろうし、
「あちら」と称される人達の命もあるだろう。

あらゆるものが入り混じる。あらゆるものが存在する。

ここが現実だ。

わたしの現実だ。

誰一人として同じ人間などいないこの世界を、一色にしようだなんて、
そうなったら幸せになれるだなんて、わたしにはとうてい思えない。



いつも言う、人様の安全や命を脅かさないというのが唯一と言ってもいい人間の約束事だよねも、
それも、守られていないのも知っている。
人様の安全や命を奪ってでも、手に入れたいものを持つ人がいるのも知っている。

でもそれだって自分のこととして考える。

わたし自身はどうだろう。
もしも自分や自分の大事な人達の安全や命を脅かされるような瞬間があったら、
わたしはその危害を与えてくる人の安全や命を脅かしてでも、
わたしの守りたいものを守ろうとはしないのだろうか。

ではわたしが最低限の約束事、と思っていることだって、
立場や状況によって、一瞬にして変わるようなものなのだろうか。

だったら、わたしにできることはなにか。
その上に生きるということはどういうことか。

そういう判断が必要な状況下に出来うるだけ陥らないようにすること。
それには何が必要か。
頭で考えるだけじゃない、よくわからない勘だとか、体の感覚だって大事だ。

考えるだけではなく、感じる。
フルに生きる。

そうしている間は、何が動かなくとも、何が進まなくとも、かまわないとする。
少なくとも、無防備に火の中に自ら飛び込まないだけではなく、危機に対する身構えだけはできている。
その状態で生きるのだ。

わたしの中にあるかもしれない。と考えることで、もうそれを、ない、とはわたしは言えない。

もう一度、ちゃんと見つめる。
本当に目の前の人が「敵」なのだろうか。

わたしが忌み嫌うものは、人間の奥深くに刻まれたものかもしれないのに。
わたしが忌み嫌うものは、わたし自身の中にも刻まれたものかもしれないのに。

本当に目の前の人は、「敵」なんだろうか。



わたしを放心させたのは、知人の行動だけではないんだな。
わたしに突きつけられた現実を目の当たりに見たからなんだ。

さかさものは点と点。
徒党を組まなくとも、自分が自分として生きることで、繋がるものはつながり、結ばれるものは結ばれる。
その自分を生きる確固たる一人一人で結ばれたものが、どんなものだかわからないそれが、
いつかぶわーっと光り輝くように発揮される場面があるかもしれない。

自分を捧げることも含め自分を生きることこそ、と選んできているけれど、
わたしがどんな人間でどう生きていようと、目の前の掴み合いは起きるという現実。

その掴み合いの手は、いつでもこちらに向かっても伸ばされるものであるという現実。

今までもさんざん経験してきたことだし、自分に何かができるなんて思っていもいない。
だから今更無力感だなんて持ち出さないし、傲慢な気持ちで嘆いているわけじゃない。

いつも、これが現実。あらゆるものが混在するのが現実だと思って生きているけれど、
目の当たりに見る、ということはやっぱりかなりきつい衝撃があるんだろうな。
人心の中に、その力として、いつでも過去に起きた戦時中という状態に陥る可能性をリアルに感じた衝撃。

でも見たからには、それもまたわたしの現実として受け止めて考えていく。



そしてわたしは自分が感じたことを、閉じ込めておけばなかったことになるそれを、
開けてさらして出現させることを今日もやめない。
それがわたしが見たものに対する、わたしが感じたことに対する、責任だと思っているから。
わたしがわたしを生きることの一環だから。

それを見ない人に、ないもの、とされても、ある。

それと同じように、人の数だけ現実があるのだ。
そしてその人の数だけ、誰かとわたしは、この地球を、この国を、この街を、この時間を共有している。
これからも生まれてくる人の数だけそれはふくらむ。

入れ替わるようにいつか消えていくわたしに、もし残せるものがあるとしたら。
ちっぽけなおばちゃん生きたよ。
生まれてきたからには生きたよ。

なくなった親友と最期に近い時間、二人で話してたこと。
生きていくのはつらいけれど、生まれてきたことは素晴らしい。
これは命への祝福の言葉だったんだと、この歳になってやっと気付きました。

わたしがつなぎたいもの。

この体を持ってそれを生きよう。
とても静かな気持ちです。


まとまらない長い長い文章を最後まで読んでくれて有難う御座いました。
気持ちは静かなんだけどかなり熱いです。
そいでギターの音はかなり激しいわよー今日もかき鳴らすわーろっーく!


# by aloha_twins | 2012-05-26 10:12 | おばちゃん語る

自信がない・・・の?

でぼちんのたんこぶ痛し。笑うと痛し。
たんこぶ、まだ、もりっとしてます。そいで痛みがたんこぶのまわりに広がってる気がします。
こんなふうに痛みが散らばっていって、そのうち治っていくんだろうか。
おもしろいなぁ体。ありがとう体。そいで、不注意で痛くしてごめんなさい体。

昨日の夜は首から肩の辺りにかけてシップを貼って寝ました。
夜になって左足の膝もズキズキしてきたので、そこにもシップ。
尻もちをついたときにぶつけてたのかしら。

家の中で一人でこんなけ打ち身作ってたらどんならんですね。
外出するときはもっと気をつけよう。

今日はちょっと、こないだから頭をグルグルしてたことをまとめられるかな。
出してみよ。
自信がない・・・の?_a0123100_15122076.jpg
んと、目の前に今までやりたいと思ってたことができる機会があるのに、
先にすすめなくなっちゃったって経験って、わたしはあんまり記憶にないんだけど、そゆ人を見て思ったこと。

自信がないのかなぁって。

自信がない、っていうのは、うまくできるかな?とか、そゆこと?
もしうまくできないと、どうなるのが怖いのかな?

もしかしたら、人の評価が怖いのかな?

人の評価を気にしてるようでいて、
それって人の評価に振り回される自分のことが怖いんじゃないかな。

やりたかったんだから、やったらいいのにな。
(めっちゃ念のため:人様の安全や命を脅かすようなことじゃなければ、よ。)
やって、うまくいってもいかなくっても、人の評価がどうであっても、
やりたかったことをやった、ってだけで、もう自分には胸張ってられるのにな。

うまくできないかもしれない俺。
けっこうやれると思ってたけどけっこうできてなかったかもしれない俺。
俺よりすごくやれる人に比べたらどうしようもなく何にも出来ない気がする俺。

いいじゃんいいじゃん。
その俺に向き合えるのは俺だけ。

あとは俺だけ。
俺がやるって言ったらすべてが動き出す。
振り返ったらそこに残るのは、俺は俺に向き合った。という事実。

俺はやった。
俺が知ってる。

その積み重ねかもしれないね、自信って。
自信がない・・・の?_a0123100_16365843.jpg
そっか、書いててなんとなくわかった。
わたし、昔からなんでそんなに自信満々なの?って友達によく聞かれてたの。
めっちゃびくびくびびりと同じくらいの、根拠のない自信あふるる態度を持ち合わせているらしいのよ。

それはあれね、世間様の評価をまったくおかまいなしに、
わたしは自分がやった小さな小さな積み重ねだけで、わたしにだけは胸張ってるのよ。

それが友達からは、自信のある態度に見えるのよ。
根拠がないっていうのは、さして評価もないのにってことよ。
なるほどねーそういうことかも。

だとしたら、わたし方式でいくと、人様からはそんな風に見られることもあるかもしれませんが、
それはさかさものなんだってことでひとつ。あしからずご了承願います。ろっくだもん。だもんて。

さかさものにはひゅるるがつきもの。
さ、ご一緒に。さかさものの証し、ひゅるる~。
少し上空、遠くを見つめて膝なんか抱えると雰囲気出ますね。三角座りで。

うむ。今日はこんな感じで、そろそろ飯の仕込みに。


たんこぶにヒエピタ貼ってみます!ろっく。


# by aloha_twins | 2012-05-22 16:53 | 日々の暮らし